第1回「コロナ禍で気づかされた有り難さ」


2020年に始まった新型コロナウイルスの感染問題とそれによって引き起こされた行動制限による経済活動の停滞、いわゆる「コロナ禍」は4年目を迎えてようやく収束されようとしています。

しかし、その爪痕はいたるところに残され、コロナ前の状態に戻れるかはまだまだ予断を許さない状況です。

特に課題となっているのが、様々な行動制限によって生活環境や生活スタイルが変わってしまったことが私たちの価値観に影響を及ぼしていることです。その中で最も影響を与えたのがコミュニケーションです。

接触を避けるために出勤や登校が止められたことによって始まった「オンライン」によるコミュニケーションは、今では当たり前のように使われ、結果的にコミュニケーションの幅を広げることになりました。

コロナ前からモニターで面会するというオンラインコミュニケーションは使われていましたが、コロナによって世界的に広がり、その便利さが広く伝わることになりました。

その1番のメリットが距離で、遠く離れていても会って話ができる正に「会話」が成立すること。それまでは会いに行かなければならなかったものが、その場で会うことができるようになったのですから、現代の『どこでもドア』のようなものです。

移動の時間と費用がかからないだけでなく、オフィスすらもいらなくなったわけですから、コロナ禍でも実はコスト削減、というより様々なコストが消滅したことによって利益が出たという会社も少なくありませんでした。

しかし、このことは同時にこれまで必要とされてきた仕事が無くなることも意味しています。例えば航空会社や鉄道会社は売上を大幅に減らし、そこで働く人が仕事を失ったり別の仕事に変わらなくてはいけなくなりました。

ただし、これはコロナ禍だからこそのことではなく、仕事はその時々の経済情況によって変化します。コロナ禍が収束しつつある現在でも、世界的な物価高によって企業業績の先行きはやはり不透明なままです。

そのような不安定な中、特にコロナ禍という極端な変化にあっても変わらず働き、サービスを提供し続けた人たちの存在が注目されました。医療や福祉、物流といった止めることができない仕事に従事する人たちで、エッセンシャルワーカーと言います。

社会にとって必要不可欠な仕事、特に医療関係と物流の仕事はインフラ事業や公共サービスとは異なり直接生命に関わる仕事なので、このコロナ禍で行動がままならない中にあって全ての人がその有り難みを痛感し感謝しました。

同時に、このエッセンシャルワーカーの仕事を通して「必要不可欠な仕事」というものを強く印象付けられました。それは、エッセンシャルワーカーと言われる仕事以外は必要性はあっても不可欠ではない、つまり代替がきく仕事だということです。

実は、コロナ前に「働き方改革」と同時に注目されていたものがあり、それがSDGsが叫ばれる中で提唱されていた「パーパス経営」です。パーパス(purpose)とは目的や意図などの意味で、経営において企業の存在目的や存在理由、企業が「何のために存在するのか」という考え方を明確にするというものです。つまり、コロナ禍にあって各企業は自社の存在意義、「自社は何のために存在するのか」を問い直す契機となったのです。

ここで大切なのが、エッセンシャルワーカーの仕事やパーパス経営に共通しているものは何かということです。それは一言で言えば「社会性」ということです。つまり社会性の高い仕事や事業というのは「社会のために」行なっているものであり、それが高ければ高いほど社会にとって不可欠な存在となります。

これからの仕事や事業にはこの「高い社会性」が求められていくことになります。

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